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2016年 11月 06日
事業経営をテーマとした中で 「女性は親和性に長けている。でも忠誠心を自分の生活に向けてしまっている人が多い。」 といったことを、おっしゃっている方がいて、ナルホド、身に覚えがあるな、と思ったのですけど、「忠誠心を自分の生活に向ける」ことは、事業経営の中では好ましくないことなのかしら?という疑問が生じました。 投資家から投資を受けている事業家の場合、そんな悠長な態度ではケシカラン!ということになるのでしょうか。そんな態度では、競合他社に負けてしまうということでしょうか。 わたしの場合、そもそも『モーラの家』も『ミドリムシ不動産』も、自分ごとの延長として立ち上げたものなので、自分自身が感じたニーズが動機となっています。 とはいえ、小さいながらも事業として立ち上げた後は、他人様にサービスを提供するものなので、努力を続け、自分の能力の限界が、その事業の限界であってはならない、ということに気をつけてきました。(その対策として、自分で出来ないことは、コントロールを手放したりしたのですが、そうはいっても、私の能力内に留まっているようにも感じます) 「自分ごとの延長でローンチして上手くいった事例は、その人やその背景ならではの諸々が具現化されたもので属人性が高く、そのため再現性が低い。(→だからデータを使って分析が必要。という話の流れだった)」ということを指摘されていた方もいらっしゃった。 これにもナルホド身に覚えがあるゾ、と思いましたが、これまた「再現性が低いことの何がいけないんだろう」との思いが。 均質化されたものに違いを出そうと、あちこちで一生懸命、差別化というのをしているじゃないか、と。再現性が低いというのは、差別化としては上手くいったことにならないのでしょうか。 どこに行っても均質的なモノやサービスが入手できるのは、それはそれで素晴らしいことだと思います。(インドでお腹を壊した時、マクドナルドクオリティがありがたかった。しかしローカルのチャイも美味しかった) つまるところ、何のための、誰のための経済なのか、ということなのかしら。 うーん。
by mocho79
| 2016-11-06 18:47
| 持続可能な思考
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