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2006年 11月 08日
ま、供養話と思って。
先月末、祖父が逝去いたしました。享年95。 一般的には、天寿を全うした大往生といえるでしょう。 私もそう思ってましたが、家族が一人いなくなるのに、 当然の理由なんてものは、無いのだなぁ~としみじみ思いました。 年齢然り。何歳だから、というのは理由になりません。 (ちなみに、祖父は103歳まで生きる、と宣言しておりマシタ) 想像以上の悲しさに、放心状態になりながらも、 それ以上の慌しさで、1週間が過ぎました。 我ながら思った以上の落ち込みように、 さて、どうやって復活したものか、と心配しておりましたが、 やっとこさ思考する気力もなんとか湧いてきました。 あんまりグズグズしてても、オジーチャンに面目立ちませんしね。 身内が言うのも何ですが、かの三浦敬三氏に 負けず劣らずのスーパージーサマでした。 うちのジーサマは、スキーヤーでこそありませんが、元大工。 高齢でも、そのへんの人よりよっぽど器用で、健脚でありました。 自己管理も徹底しておりました。 現場が好きで、近所の住宅を建てている現場に1日中いて、 時にはハシゴを登っていって、20代の大工さんを驚かせたことも・・・(笑) (あ、もちろん自社物件ですよ・・・祖父は創業者だったので) お通夜や告別式では、 『おたくのジーサンは信念をもって生きていた』 『信念があるってのは、軸がぶれないんだよ』 『叱ってくれる人がいなくなった・・・』 と、おっしゃってくれる人がいました。 祖父の次の世代の人からそう言われると、 改めて、祖父の凄さを感じた次第です。 95歳でも、惜しまれる人って、なかなかそういたもんじゃーないと思うのです。 『キミ達は、95歳を過ぎないと、オジーサンのことは超えられないってことだヨ』 というのにも、納得。そしてちょっと安心もしました。 核家族が主流のこのご時世で、 最後まで強烈な体験をさせてもらって、よい勉強になりましたワ。 寝不足やら何やら色々ありましたが、今思うに、とてもありがたい経験だったなぁ、 と思います。ほんと、今思えば、です。 こういう経験があるとないとでは、自分の両親の時に、心構えが違うと思うのです。 この1週間、仕事の5倍は疲れた、と言ったら、 「95年生きた方は、もっとお疲れだヨ」と父。 まったくでゴザイマスっ!失礼いたしました(笑) おじーちゃん、ありがとう。 95年間、ほんとにお疲れ様でした。
by mocho79
| 2006-11-08 20:00
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